特別支援
昨日学部時代の友達が泊まった。その人は現在、特別支援学級の担任をしている。その人との時間は有意義な時間だった。
今年最後の上越の夜にふさわしかった。
話していて考えたのは
大学・大学院でもう少し勉強しておいたらよかったなあということ。
なぜ大学で概念的なものしか特別支援を扱えないかを考えてたら、西川さんがよくいう「子どもという子どもはいないから。」ということかもしれないと思った。
おそらく99%の先生にはじめて話しても理解してもらえないだろう。しかし、特別支援学級の子どもを対象として考えてみたら、「子どもという子どもはいない。」という意味が理解できる人がかなり増えると思う。
LD、アスペルガー、ADHD等様々だが、一人ひとりの子どもによって違うし、「あっ去年のA君と同じタイプの子か」とはならないだろう。
話を戻すと、子ども一人ひとりは唯一無二だから、大学の特別支援の講義で特定の子を扱うと個人情報の心配が生じる。
これが具体的に特別支援の講義が概念的なものになっている理由かと。