一斉指導の視点から見る『学び合い』
昨日の続き
一斉指導を25分くらい板書をしながら丁寧に説明した。その後、中心発問に対する課題を提示した。自分は「どんな方法でやっても大丈夫だよー」と指示を出す。そうすると子どもたちは仲の良い子たちで固まって作業をする。『学び合い』初期の状態と同じだ。そして自分が終わったら初めてのICレコーダーで遊びだす。
大きく違うのは
「1人も見捨てない。全員達成を目指しているかということ。」
昨日の自分の授業(なーんちゃって『学び合い』とでもいうのかな?)では、全員が課題を達成するという指示は出していない。そうすると下位の子どもたちは、見捨てられ課題を解決することはできない。
自分は残り7分くらいで「教師のまとめ」をした。多くの教員が帳尻を合わせるやつ。これで「終わらなかった子どもにも教えたよ」というあれだ。
自分の授業を見に来てくださった方が、
「特別な支援が必要な子どもたちに配慮されていない」という評価をいただいた。
まさしくその通りだと思う。期間指導をして課題も難しいと感じたし、勉強が苦手な子にはキツイ。それがなーんちゃって『学び合い』の限界なのかなと。
全員達成を目指すことを教師が語る。
これだけで救われる子がいる。
ずっと『学び合い』だと知らず知らずのうちに気づかない視点だと思う。一斉指導をしてみて『学び合い』の原点の意味が理解できた。